「日本に行けば誰とでもヤレる」。迷信を信じる外国人の“差別的なフェチ”に激怒し、声を上げた一人の女性

Text: Noemi Minami

2017.9.13

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「イエローフィーバー」という言葉を聞いたことがあるだろうか。欧米文化でアジア人を差別的に指す「イエロー(黄色い肌の人種)」と、病気を示唆する“熱”という意味を持つ「フィーバー」を掛け合わせたこの言葉はアジア人フェチを皮肉的に表現している。

中国系オーストラリア人のライターMichelle Zhu(ミシェル・ヂゥー)はジャーナリズムの勉強のために日本に一ヶ月ほど滞在していた。彼女はそのときに目撃した日本にいる一部の外国人と彼らのイエローフィーバーについて本国のメディアGlobal Hoboで発信。記事の名は『I HOPE YOU CATCH YELLOW FEVER AND DIE(イエローフィーバーにかかって死んじゃえばいい)』。オーストラリアで中国系としてイエローフィーバーの対象とされてきた長年の体験と、日本で目撃した一部の外国人の日本人への横暴な態度に対して爆発した怒りをユーモアたっぷりに書いた記事だ。

今回Be inspired!は日本人として日本に住んでいるとなかなか気づきづらいこの「イエローフィーバー問題」について、同じアジア人だけれど、“外からの視点”を持つミシェルにインタビューを行った。

「アジア人がタイプ」と「アジア人フェチ」の違い

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中国系であるためオーストラリアでイエローフィーバーの的に長年なってきたというミシェル。まず彼女が考えるイエローフィーバーの定義を聞いてみた。

イエローフィーバーは、とっても限定的にアジア人だけを好きなこと。自分の経験で話せるのは、“アジア人女性”が好きな人のこと。アジア人が好きすぎて、いつもアジア人の子と付き合って、勝手なイメージを押し付けてくる人たち。アジア人が“エキゾチック”で、“何か自分とは違うもの”として見ていて、ちゃんと私たちのことを人間として見てくれていないこと。

でも人にはそれぞれタイプがある。髪が長い女の子が好き、背が高い男の人が好き、声が低い人が好き…。「イエローフィーバー」と「アジア人の見た目がタイプ」の違いはなんだろうか。

タイプとフェティッシュの区切りは難しい。でもイエローフィーバーを持っている人は、「アジア人は…」ってすぐまとめて発言する傾向があると思う。もし一緒にいる人に対して「自分じゃないほかのアジア人の子といつでも取っ替えっこされそう」って感じたらそれはその人がイエローフィーバーを持っているからだと思う。特定の人種に共通する身体的特徴がタイプなのは普通だと思う。でもその特定の人種に勝手な幻想を抱いて、それを理由にその人種にだけ恋愛面でアプローチするのは違う。

問題は、アジア人が魅力的だと感じることではない。アジア人のイメージを勝手に作り上げ、その思い込みのアジア人像に恋をしている人々が問題なのだ。そして多くの場合、そのイメージは男尊女卑的な考えに基づいている。

オーストラリアで、うまく英語を話せないアジア人の女の子が特に大好きっていう人に会ったことがあるけど、彼はいい例だと思う。女の子をコントロールして自分が優位に立ちたいだけ。アジア外ではアジア人女性が“エキゾチック”で“シャイ”で“従順”だというイメージがある。それが問題なの。アジア人女性はこのカテゴリーに勝手に入れられ、“自分を守れない”ことを期待される。イエローフィーバーの人たちが好きなのはそういったアジア人の側面で、私たちの名前を知る前からそんなことを期待してくる。

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断固アンチ・イエローフィーバーのミシェルだが、最初は自分に「アジア人」だからという理由で寄ってくる男性たちの人種差別的要素には気づいていなかったという。

最初は嬉しかった。男性たちが「アジア人が大好き」って言ってきたら、いいことだと思ってた。でも長年の観察とたくさんの最低男たちとの付き合いを経て、人種差別だと気づいたの。マイノリティとして生きていると、私たちの文化が魅力的だから、違いを認めながら受け入れようとしてくれる人と、“違うもの”として疎外し、それでもいい顔しようとする人たちの見分けが難しい。

「アジア人が好き」、それはポジティブな宣言。だからその裏に存在する人種差別はストレートな差別より気づきにくいのかもしれない。しかし根底にあるものは同じ。自分と違う人種を平等な存在として見られないという事実だ。

日本に集まるイエローフィーバー野郎たち

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そんな体験をしてきたミシェルだからこそ日本に来て、一部の外国人の日本人への扱いに垣間見れた違和感を見逃さず、怒りを感じたという。どの国にも、イエローフィーバーは存在する。でも日本にはそんな人たちがわざわざ集まっていると彼女は感じたそうだ。

漫画やアニメなどの日本のポップカルチャーをきっかけに日本に興味を持ったのかもしれない。でも、フィクション的な“日本人女性像”と現実が混乱し、二次元的なアイデアを本物の女性に押し付けている人たちを見た。「日本に行けば誰とでもヤレる」みたいな不快な迷信もある。特に一部の白人系の人たちは自分たちがアジア人より優位だと信じ込んでいて、アジアの国にきて横暴に振舞う。欧米社会ではメディアや社会は白人系を優先するからそれも影響しているかもしれない。これは消えてなくならければならない。私たちは尊厳のために闘わなければならない。

あくまでも「海外から来た一部の人々」というのを忘れてはいけないが、そういう人たちが少しでも存在していることを知るのは、私たちが差別を受けたときに、それに気付けるか、またどう対応するかに影響してくるだろう。

“アジア人ぽくない”という褒めことば

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男性に褒め言葉として「他のアジア人と全然違うね」って言われる。でもそれは私にとって褒め言葉と正反対のこと。人種差別を内面化してしまって、いいことだと思っていた時期もあったかもしれない。でも考えれば私が他のアジア人と違うのは当たり前。アジア人は一人ひとりみんなユニークでしょ。身体的に似ているところはある。でも私たちのアイデンティティーは多様的。アジアのなかにもたくさんの人種と、豊かな文化があるのに、どうして「アジア人女性が好き」なんて言えるの?その発言がすでにアジア人を人間として見ていない証拠。私たちはみんな同じじゃない。それぞれがユニークな無二唯一の存在。

差別があまりにも社会に根付いていたり、そのことについてメディアや教育の場で議論がされなければ差別されていても当事者たちが気づかないこともある。特にイエローフィーバーのように「褒め言葉」の裏に差別が隠されているときはなおさら分かりづらい。しかしこのままでは差別する側は差別的言動を公にし続け、何も学ばないままだ。だから、ミシェルのように気づいた人が立ち上がって発信することは大切である。

イエローフィーバーは私にとって、とても個人的な問題。自分だけでなく周りのアジア系の友達も体験してきたことでもある。社会や教育でこういう問題をオープンに話すなって教えられてきたから、オープンに話す必要があると思ったの。イエローフィーバーが“愛に溢れた言葉”に隠されているからって、それは本当の愛ではない。リスペクトがなくて、自信がない人たちの言葉が私たちの存在を傷つける。それにオープンに話して良かったと思うのは、他のアジア人の子たちの意見を聞けたこと。私が会話を始めたから、たくさんの人が個人的な体験を共有してくれた。多くのアジア系の子たちがこれまでイエローフィーバーを持つ人たちに不快で最低な言葉を投げかけられていたという事実も知った。でもみんなで議論して、この問題に立ち向かえばきっと私たちが健全に成長できる場が確保され、アイデンティティーが守られるはず。一緒になれば、本当の愛とは何か理解できるはず。

イエローフィーバーはアジア人である日本人にとって他人事ではない。それどころかミシェルが言ったように日本人女性は礼儀正しいというイメージやポルノ大国のイメージもあってか、特にターゲットにされやすい。「愛に隠された人種差別」の存在を知った今、不運にもそういう態度の人に出会ってしまったら危険にならない程度に議論してみてはどうだろうか。みんなで立ち上がれば問題として認識され、状況は変わるかもしれない。

Michelle Zhu(ミシェル・ヂゥー)

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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