“武器”ではなく“楽器”で反核を訴える。シンガー朴保(パク・ポー)氏が人生をかけて歌う「愛と平和のロックンロール」


「歌いたい歌を歌うんだ」とギターを手に、原発、沖縄問題、従軍慰安婦問題など反体制の歌を38年歌い続けるロックシンガーがいる。彼の名は朴保(パク・ポー)氏。

朴保氏は1955年、在日コリアンの父と日本人の母の元に生まれ、静岡県富士市の海沿いで育った。兄の勧めで若干10歳の頃にバンドでドラムを叩き始めるが、当時はドラムセットなどはなかなか買えない時代。そこで彼は、実家の自動車の解体屋からいろんな物を持ってきてドラムセットを自分で作っていたという。この時の朴保氏に、これからの彼の音楽人生がどのようなものになるかなど、きっと想像できなかっただろう。

今回Be inspired!は人生をかけて反核を歌う朴保氏の人生を伺った。

Photo by 小倉龍美

抱瓶(高円寺)花咲かしょうら 夢咲かしょう
Photo by 小倉龍美

コリアン名で何がいけないんだ!

 静岡県で高校卒業後、彼は東京の大学に行くために上京。音楽活動を盛んにしていた彼は、とあるレーベルにスカウトされ1979年「広瀬友剛」という名でデビューした。しかし翌年韓国訪問を機に「朴保(パク・ポー)」と改名。在日コリアン差別は今も根深いが、当時は更にひどかった。そんな時代に、在日コリアン名を日本で名乗るのは、彼の歌手生命に関わることであった。改名した経緯、そして決意を朴保氏はこう語る。

“韓国に行った時に自分のルーツに目覚め、それを隠すべきではないという意識が生まれたんだ。あとは、やっぱり僕はロックなんだろうね。「そんな体制を変えていきたい」と思ったんだ。コリアン名で何がいけないんだ、って。「パク・ポー」って名前もカッコイイからね”

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原宿クロコダイル デビュー35周年ライブ「あいのうた」
Photo by 小倉龍美

コリアン名が呼んだ活動家としての新しい道

  改名後、彼は事務所を解雇され、それまでの普通の仕事は全部なくなってしまったという。しかし、そんな朴保氏を必要とする声があちこちからかかり始めた。それは平和運動を行う人や、アイヌ問題、部落問題、沖縄の問題などの日本で暮らすマイノリティの活動家たちだ。そして彼はそれまでと全く違う世界に引き込まれていくことになる。そのことについて彼はこう語ってくれた。

“いろんなことが勉強できたね。普通のアーティストが見られない物を見たり、聞けないことを聞けたりね。現実が見えるわけだよ。そういう意味じゃ、得をしたのかなって思ってる。そりゃ大変だったよ。金銭的にもお金になるような話はこないからね”

 そう笑う朴保氏は、プロとして満足なギャラが出ないような集まりでも、声がかかれば積極的に出かけ、ソウルフルなメッセージソングを歌い、国籍問わず、人々の心に橋を架けていった。そういう筆者も彼のライブで、踊りながら涙した経験がある。彼の歌は人類愛の歌であり、歴史であり、平和への祈りであり、反体制のロックンロールである。

 在日コリアンであること、在日コリアンの中でも日本人の母を持つ彼は、どこにも居場所のなさを感じていた。そんな社会の歪みを幼い頃から経験していたことで、他人の心の痛みに人一倍敏感な彼だから歌える歌なのだろう。

“外国に行けばその人が「日本人」なのか、「韓国人」なのか、「部落」なのか、「アイヌ」なのかも区別できない。それなのに日本という小さな国の中になると、お互いを差別してしまう。やっぱりそこのところが社会の歪んでいるところだね。日本人のルーツは朝鮮半島からも来ている。日本語と韓国語の文法も同じだし、歴史的にとても交流の深い民族なんだ。その歴史を見て欲しい。歴史を見れば在日コリアンも日本人ももっと仲良くなれる”

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抱瓶(高円寺)花咲かしょうら 夢咲かしょう
Photo by 小倉龍美

代表曲「HIROSHIMA」はアメリカで誕生した

 1983年、朴保氏はドイツ人の友人に誘われて、米国の反核コンサートに出演しようと、妻と3歳になったばかりの娘と共に渡米。しかしそのコンサートは中止に。片道切符での渡米だったため帰国できず、家族を抱え、バークレイでストリートミュージシャンとなった。

 彼の代表曲に「HIROSHIMA(ヒロシマ)」という曲がある。この曲で彼はあの第二次世界大戦に終止符を打った核爆弾を歌った。朴保氏が埼玉県の丸木美術館「原爆の図」を見て、それを創り、一生をかけて訴え続けた丸木夫婦の“伝えること”の持つ大切さに気づかされ作った歌だ。アメリカで彼はオギヨッチャというバンドを組み、この「HIROSHIMA」をアメリカの平和コンサートで歌い、「No Nukes(核のない世界)」を訴えた。

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HIROSHIMA (Never again)

HIROSHIMA HIROSHIMA
Do You Remember Hiroshima?

おぼえているだろう あの暑い夏の日を
忘れてはいけない あの夏の日
あつい あついよと 人は川へ飛び込んだ
川はゆだって この世の地獄

1945 August 6th
Don’t you you ever forget
Don’t you you ever forget

“HIROSHIMA”

1945 August 9th
Don’t you you ever forget
Don’t you you ever forget

“NAGASAKI”

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“OPEN” shinjuku ライブ
Photo by 小倉龍美

 今でもアメリカ人の中には原爆は第二次世界大戦を止めた“正義の行為”だと信じている人が多い。しかし正義の大量殺戮など存在しない。核爆弾を正義のために使うということは、絶対にありえないことだ。それは日本人だからこそ、世界に伝えることができるメッセージである。朴保氏はこの「HIROSHIMA」を日本人として、核爆弾を世界で唯一使った国アメリカで、その現実を伝えようと歌い続けた。当時のことを彼はこう語る。

“とにかくストリートから歌い始めて、当時のCA、バークレイはベトナム戦争反対の運動が始まったところで、僕は「HIROSHIMA NAGASAKI no more WAR!」って歌を歌ってたから、周りの人がいろいろ協力してくれたよ。その後、いろんなコンサートに出たりとか、FMラジオで2時間番組をもらったりしたんだ。その中で同じ人権差別や核問題を持つ、ネイティブアメリカンのいろんな状況を知ることができたんだ”

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サンフランシスコ・バークレイ時代
Photo by Tatsuya Morita

 アリゾナ州、ユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州にまたがる地域に、ビックマウンテンというネイティブアメリカンの聖地がある。そこに石炭や、 石油、天然ガス、ウランが埋まっていることから、政府はネイティブアメリカンに強制移住法を出し、聖なる地からの移住を迫っている。それは20世紀最大の強制移住問題とも言われた。そのウラン発掘ではたくさんのネイティブアメリカンが、なんの放射能対策もなく発掘作業を強いられ、多くの人が癌などを発症し亡くなった。朴保氏はネイティブアメリカンの反核運動にも加わった。(参照元:Free Big Mountain

“ネイティブアメリカンには「何かを決断する時は、7世代先を見よ」という教えがあるんだ。「7世代先のことを考えれば、今何をしなければならないのかわかるでしょ?」って。彼らが地球と人間、大地との付き合い方をちゃんと教えてくれたね”

 そして朴保氏のバンド、オギヨッチャはネイティブ・アメリカンのビッグマウンテンでの集会コンサートに招かれる他、ネバダの核実験場跡で「HIROSHIMA」を歌うなど西海岸の音楽シーンと平和運動において注目を集めた。

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サンフランシスコ時代のバンド オギヨッチャ

10年ぶりの帰国と日本での反核運動

 朴保氏の音楽はロックに限らず、レゲエ、ソウル、民族音楽など幅広い。92年母の危篤をきっかけに、10年ぶりに日本に帰ってきた朴保氏は久々に日本で行う音楽活動に、このように思ったという。

“アメリカのミュージシャンは自分たちが人々の代弁者であるという事を知っている。真っ先に立って、反体制の歌を歌ってるわけだよ。でも日本の若いアーティストはやっぱりそういうことはやっちゃいけないと思ってるのか、あんまりやらない。それは問題だと思うね”

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抱瓶(高円寺)花咲かしょうら 夢咲かしょう
Photo by 小倉龍美

 帰国後も彼は世界から核を失くすため、反核の歌を歌い続けた。帰国後すぐの94年に福井県の原発「もんじゅ」が臨界達成、それを止めようと「MONJU(もんじゅ)」という歌を作った。原発「もんじゅ」は翌95年に事故を起こし停止。そして2010年に運転再開したが、再び停止。2016年12月廃炉が正式決定した。朴保氏が「MONJUを止めよう」と歌って22年後のことだ。

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「MONJU(もんじゅ)」

モンジュを モンジュを モンジュを止めよ
母なる地球が泣いている
イエッサホーイ イエッサホ イエッサホイヤー
Babylon systems are falling down

(中略)

背中の曲がったドジョウは泳ぐ
桶の中でさみしそう
海の魚も目が一つ
お寿司屋さんはどうするの?

お偉いさんはのんきだね
地震大国 目も触れぬ
だけどよくよく足元見たら
原発だらけのこの日本

臨界 臨界 とうとうその日は来た
まだまだ間に合うのか それとも遅すぎるのか
ごまかされるな 原発などいらぬ
モンジュ モンジュと とうとう呪文もきかぬ

省エネ 省エネ 資源が足りぬ
今年もやっぱり水不足
だけど本当に足りないことは
真実を貫くパワーだぜ!

“「原発」って言葉を「核発電」に変えたらいいと思ってる。その方がわかりやすいでしょ?「核」を使って発電してるんだから”

 そう語る朴保氏。私たちは頭ではわかりながらも、どこかで「原発」と「核」を別ものとして考えているところがあるかもしれない。しかし核の平和利用などあり得ないことは、広島、長崎、そして福島原発事故で私たちが学んだことではないだろうか。

そして福島原発事故、 “今こそ流れを変える時”

 福島原発事故後2年経った2013年にリリースしたソロアルバム「IMAKOSO」に収録された一曲に“今こそ流れを変える時”という歌がある。散々反核の歌を歌い続けた後に起きた悲惨な事故。その時の朴保氏の心境が見える曲だ。

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今こそ流れを変える時

今逃げるのかよ どこへ行くのか
逃げ出せないでいる人もいるのに
咽喉を枯らし叫び続けた言葉は
今 虚しくも風に舞う

これでいいのか こんなはずじゃなかったと
帰る故郷はどこにもない
今こそ前に進む時 今こそ流れを変える時

時間をかけて良いことと
今すぐやらねばならないことがある
時代遅れの原発は今すぐ止めて
もういらない核よ さようなら

空へ撒き散らし 海へ垂れ流す
地底深く掘ってもどこにも捨てられぬ

世界に自由と愛があるなら 今こそ流れを変える時
あなたに愛を 愛をあなたに 今こそ流れを変える時

 朴保氏はこの“今こそ流れを変える時”を作った時の心境を話してくれた。

“自分の声は届かなかった。遅すぎたのかもしれない。でも諦めることもできない。子供達の目をみた時に、我々がここでシュンとなってはいけないと思うんだ。もう二度と繰り返してはいけない、しかも廃炉にしなければならないって。でも問題は山積みだ。時間をかけていいこともある。でも原発だけは今止めないと時間がかかるだけだから。そうじゃないとそのツケがどんどん子供達に回るだけだから。そういう気持ちで作ったの。流れを変えて欲しい、目を覚ませ、と”

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抱瓶(高円寺)花咲かしょうら 夢咲かしょう
Photo by 小倉龍美

 人生をかけて反核問題を訴える朴保氏。それは彼がコリアン名に名乗った瞬間から始まり、今まで続く壮絶な人生だ。インタビューの中で彼は何度も「歌いたい歌、歌わなきゃいけないから」と言っていた。それは生まれ持つ使命のようなものが、彼を突き動かしているかのようにも聞こえた。そして彼は最後に、こんな言葉をくれた。

“僕らは絶対平和で、愛しあえる社会を創りだせるんだって思わなければだめだよ。そういう意識が大切なの。頭をもっと冷静にして、考えることが必要とされてるの。愛に勝るものはない。原発も愛には勝てない。私たちが原発がなくても生きていけるんだって、子供達に伝えなきゃ”

 ゴツゴツとして、歩きにくい人生を歩んできた朴保氏。歪んだ社会に“武器”ではなく“楽器”を使って訴える。反核を歌う歌も、マイノリティのことを歌う歌も、反戦を歌う歌も、彼の歌は人類愛が込められたラブソングだ。それは朴保氏が彼の人生を持って挑み続ける反核と平和への祈りの歌である。その歌は聞く者の心に諦めかけていた平和への希望を与えてくれるかのようだ。

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朴保

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原宿クロコダイル デビュー35周年ライブ「あいのうた
Photo by 小倉龍美

Text by Momo Bambeni
ーBe inspired!

 

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