日系アメリカ人家族の心の傷を漫画化。マイノリティの歴史を記録に残すことの大切さを訴えるアーティスト|GOOD ART GALLERY #018

Text: Noemi Minami

Artwork: ©Rosie Yasukochi

2018.8.15

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今日で終戦を迎えてから73年。忘れてはならない記憶が数え切れないほどある。

今回GOOD ART GALLEYで紹介するのは、日系アメリカ人のアーティスト、Rosie Yasukochi(ロージー・ヤスコチ)。祖父母を含める日系の彼女の家族は、第二次世界大戦中、アリゾナ州のポストン戦争強制収容センターに収容されていた。

当時アメリカにとって敵国だった日本。アメリカに住む日本人や日系アメリカ人は、当人たちのアイデンティティや思想は一切関係なく、アメリカ各地の収容所に強制収容されていたのである。

ロージーの祖父母はその収容所のトラウマを彼女に伝えることはないまま亡くなった。アメリカの一般教育で行われる歴史の授業で淡々と事実として述べられる日系人の強制収容について、今も根強く残るアメリカの非白人に対する人種差別、自分のアイデンティティとは何か、自分自身を模索するためにロージーは収容所について家族にインタビューを行い、それを漫画にした。

あまり語られることのない、戦中に“敵国”であるアメリカに生きた日本人や日系アメリカ人の歴史、現代まで続く人種差別について、彼女の作品や言葉から考えたい。

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ロージー・ヤスコチ

ー自己紹介をお願いします。

ロージー・ヤスコチです。アメリカのLAが拠点で、イラストレーター、ソーシャル・プラクティス*1アーティストとして活動してるよ。アーカイブ(保存記録)を非白人のコミュニティや他の社会的に無視されている人々のための「再生の手段」として提案してる。

(*1)場所や社会的システム、人々と協同的に、社会的インタラクションを含むアート

ーいつ頃からアートを始めたの?

小さい頃からユダヤ人のおじいちゃんと一緒にアートを作っていた。そういえば、おじいちゃんはすごく日本の水彩画が好きだったんだ。食卓のテーブルの上に電話帳を置いて、その上に私を座らせて水彩画を描かせてくれたのを覚えてる。私のアート活動に一番最初に影響を与えたのがおじいちゃんで、道具もだいたいおじいちゃんのを使わせてもらってた。私にとっては両親二人もアーティスト。本人たちは否定すると思うけどね。

お父さんは木工細工に関心があって、いつもYoutubeでいろんな技を学んでいた。お母さんは若い頃にアートをやっていて、今でも家に作品が飾ってある。小さい頃、お母さんが電話で話しながら新聞に何気なく複雑な模様を描いていたのもよく覚えてる。お父さんのクラフトに対する態度と一緒で、お母さんは料理に対してもクリエイティブで、常に新しい技術や素材を試すタイプ。

ー家族に日系人の強制収容についてインタビューしてそれを漫画にしていくなかで、強制収容所について一番ショックだったことはなんだった?

ショッキングなことはあんまりなかったかな。っていうのも、腹立たしかったっていう方が正確な気がするし、正直失望したって気持ちの方が強いかもしれない。収容所について家族が話したがらないことはわかっていた。でも実際に収容所に対する家族が抱える疑問とか心情を聞いてみて、みんなが沈黙のなかで苦しんでいたと知ることは辛かった。

ー自分の家族の歴史を学ぶことがロージー自身にどんな影響を与えたと思う?

世間知らずだったかもしれないけど、自分と家族のトラウマについて学ぶことが自分の気持ちを楽にしてくれると思ってた。カタルシス*2を探していたんだと思う。何時間も収容所についての資料を読んだり、オーディオインタビューを聞いて自分のおじいちゃんやおばあちゃんがどんな体験をしたのかを学ぶことは簡単じゃない。とても重かった。普段は夢は覚えてないほうなんだけど、このときは核兵器の世紀末に自分がいるっていう悪夢をみて、汗びしょびしょで目覚めることも少なくなかった。そういう日は負のループに陥る。広島、長崎、北朝鮮、収容所、黄禍論*3、大統領令、ドナルド・トランプ…。でも、漫画を作ったり、大学の卒論でこのことについて研究したのは結局気持ちのはけ口になった。私は視覚的に考えるタイプだから、トラウマとか自分の感情や考えを視覚的なものにアウトププットできたのは一種の癒しになったんだと思う。

(*2)モヤモヤから解放されること。「精神の浄化」ともいわれる。
(*3)黄色人種脅威論

ーどうして家族や親戚のトラウマについて学ぶことが重要だったの?

他の非白人のコミュニティと同じで、日本人や日系アメリカ人にとって、メンタルヘルスについて話すのは難しいことなの。「しょうがない」ってやつでまとめられちゃうから。もう終わったことなのに話す必要ある?ってね。でもこういうことは話さない時間が長ければ長いほど、辛くなってその人に悪影響を及ぼす。不安症を抱える一個人としても、おじいちゃんおばあちゃんのメンタルヘルスについて学ぶのは、どうして今の自分が’こうなのかを理解する手助けになった。

ーどうして歴史を学ぶのは大事なのだと思う?

アメリカの学校の授業では、過去の失敗を繰り返さないように歴史を学ぶんだと教わる。繰り返さないなんて無理だと私は思ってるんだけどね。だから個人的に歴史は、人々がお互いを理解できるようになるために学ぶべきだと思う。

私たち自身は気づいていないかもしれないけど、今の自分を形成するのに、世代を超えて影響しているものってたくさんある。特に、社会がどう自分(人種やジェンダーや階級など社会的に位置付けられた自分)をカテゴライズしているかとか。とっても単純なことなんだけど、人と良好な関係を築きたいなら、その人(そしてその人の社会的要素)の歴史を紐解くことって重要だと思うの。自分だけじゃなくて、他人のもね。もちろん、自分の歴史を知ることから始めるのはいいスタートだと思うけど。

ーどうしてあなたの歴史をみんなと共有することが大切だったの?

アーカイブ(保存記録)って聞くと、白人のおじさんかおばさんが図書館とかで資料を漁ってるイメージが私にはある。その資料っていうのは社会的に“記録しておく価値がある”、白人の歴史。でも私にとって、非白人コミュニティの人たちが家族の歴史を記録しておくことは、それが口頭伝承であれ、書き物であれ、伝統的な芸術であれ、すごくラディカルなことだと思うの。

記憶を記録することって、特にトラウマの場合、自分の体験がちゃんと認識されているって感じれるし、癒しになる。

だから私の場合は、日系人の強制収容について記録を作ることが同じようなトラウマを抱える他の日系人や、それ以外の人にとっての教育という意味でとても大切だったの。

以下、ロージーの作品

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自分の家族のトラウマについて、家族に直接聞くよりも授業で知ることになったときにどうすればいいかなんて誰も教えてくれない。

「今日の授業では、第二次世界大戦中の日系人の強制収容の歴史について学びます」

教室を去るべきなのか…
自分の家族について話すべきなのか…
自分は日本人じゃないふりをするべきなのか…

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収容所について学びたいと思ったときにはおじいちゃんとおばあちゃんは、病気で話せる状態じゃないか、すでに亡くなっていた。

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お父さんは、アメリカ人に「同化」したいと思って育ったから、収容所について両親に質問することはしなかった。

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ミックスとして、自分が想像する「自分がどう他人に見えているか」と、実際他人が自分をどう見ているかがマッチしたことはなかった。だって私の見た目から日本人と思われることはなかなかないから。子どもの頃から、自分のアイデンティティをいろんな方法で表現しようとしていた…

仏教徒になった。日本語を学ぼうとした。もっとアジア人みたいな目に見えるようにメイクを工夫した。髪型も変えた。日本の芸術や音楽についてたくさん学んだ。とにかく日本人らしくなりたかった。でも今になってやっと、まずは自分のルーツについて、家族の歴史について学ばなきゃって気づいたんだ。

そこから始まった…

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監視塔からいつもマシンガンが収容所に向けられていたことは知っていた。

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そこにはマカロニはないことも知っていた。
そこにはプライバシーがないことも知っていた…

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それ以外は、わたしは何も知らなかった。

Rosie Yasukochi(ロージー・ヤスコチ)

WebsiteInstagram

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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