「わたしは小2の時、父から性的虐待を受けました」。虐げられた過去をアートの力で克服した24歳の写真家

Text: fujigara

Photography: Chihiro Lia Ottsu unless otherwise stated.

2018.2.2

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本当にわたしたちを縛るものは何もないし、わたしたちは何も縛ることはできないよ。

“僕”とアートからもらったエネルギー

こんにちは。ふらふらと写真を撮っている、ふじ がらといいます。“おふじ”って呼んでもらえたら嬉しいです。いまわたしは24歳だけれど、なんだか昨日産まれたばっかりのような気分で毎日を過ごしています。

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わたしは小2の時、父から性的虐待を受けました。お母さんがいない時に。それは、消したくても消えてくれない呪いのような過去です。でも、わたしはいま、とっても楽しい。それは、呪いといっしょに生きていく方法を知ることができたからだと思っています。虐げられた過去を変えることは不可能だけど、ゆっくりでも、歩みを進めることはできる。そのことを少しでも多くの人に知ってほしいし、読んだあと「ひとつのきっかけ」として誰かの元へ届くことを願いながら、この記事を書いています。

虐待がきっかけで幻覚を見るようになって、それとは10年ちょっといっしょに過ごしました。白い煙のような幻覚。たばこの煙を見ると安心するのは、それに少し似ているからかもしれません。あと、わたしは幻覚のことを心の中で“僕”と呼んでいました。なんでだろ?未だに謎です。まわりに言ったら変な子って言われるような気がしたし、お母さんが悲しむと思って、“僕”のことも虐待のことも誰にも言いませんでした。不思議と、辛いとは思わなかった。落ち着きのないただの子どもでした。

だけど、両親が離婚して“僕”のことが見えなくると、生きることがとても怖くなりました。“僕”がいなくなることが想像できていなかったんです。いつのまにか、無意識のうちに“僕”に依存して、虐待を受けた過去をひとりでは抱えきれなくなってしまった。

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そんななか、なぜだかひどく惹かれて衝動的に買ったコンパクトフィルムカメラと、それと同時期に観た映画、デヴィット・リンチの「ロスト・ハイウェイ」…。

「もしかしたら“僕”は消えたんじゃなくて、わたしのなかに戻っただけかもしれない」

“僕”は、ひとりで抱えきれないことを代わりに受け止めるためにわたしがつくった、もうひとりの自分だったんじゃないかな、と考えるようになりました。写真を撮る行為とそのひとつの映画が、自分と向き合うきっかけをくれたんです。そこからゆっくりと思うがままに写真を撮って、絵を描いて、惹かれる音楽を聴いて、映画を観て、舞台を観て。いろんな表現に触れることで、ここにいていいんだ…と思えるようになっていきました。これは大袈裟なことじゃなくて、誰かが発する表現には、そのぐらい大きな力があるんじゃないかな。そこには生きるためのエネルギーが止まることなく流れていて、すごく居心地がよくて、すべてがフェア。アートが身近にあったことは、わたしにとって本当にラッキーなことだったと思う。というのも、わたしが惹かれた映画や音楽、美術、舞台っていうのは、すべてお母さんからの影響だから。もしお母さんが音楽を全く聴かず、デヴィット・リンチって誰?って感じで、たくさんの色のクレヨンよりたくさんのドリルを買ってくるような人だったら、わたしはとっくに死んでいたかもしれない。たくさんのドリルで勉強することが好きな人もいるけれど、自分にはクレヨンで絵を描いたり、踊ったりするほうが合っていたみたいだし、母もそれをよく理解していました。

子どもが必要とする大人という存在

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子どもにとって「大人から理解してもらっている」と感じることは、とても重要なことだと思う。お母さんからもらった愛情を、いまになってすごく感じるんです。

精神的に安定していくなかで、虐待について調べるようにもなりました。見ていくと、自分が経験したこともふまえ「連鎖」という言葉がどうしても頭にうかんでしまう。

たとえば、2010年に大阪で起こった3歳と1歳の姉弟が母親に家に置き去りにされて餓死したという悲しい事件。犯人である母親はシングルマザーで、幼少期に両親からの愛情を感じずに年を重ねてしまった。男に依存することで寂しさや愛情を埋めようとして、自分の子どもを殺してしまったんです。それは、永遠に許されないことです。ただ、そうやって子どもの頃に負わされた傷が癒えないまま大人になると、誰かを傷つけて、最悪誰かの命を奪ってしまうということは十分ありえると思う。

苦しい時期に、わたしも母や友人に暴力的な態度をとってしまったことがあります。友達に肩をポンとされただけで「汚いから触らないで」って言ったり、無視したり。イライラして母に物を投げつけたり、どうしてそんな酷いことをしてしまうのか自分でも混乱してわからなかった。でもわたしの場合は、母と友人が変わらず(ときにめちゃくちゃ叱られたり大喧嘩しつつ)傍にいてくれたことや、写真を撮ることが、自分と向き合うことにつながりました。子どもにとって、大人の温もりや安心感はずっと残っていくもの。そして大人がつけた傷も、ずっと残っていくもの。その痛みを和らげてあげるには、大人も自分や彼らと向き合っていくことが、必要なんじゃないかな。

今後また誰かを傷つけてしまうことがあるんじゃないか?と、恐くなることもあります。でもその恐怖や不安から目を逸らすことは自分を拒絶するのと同じことだと思うから、自分はこれからも写真を撮って、音楽を聴いて、友達や家族とおしゃべりをする。そうやって自分や周囲と向き合い続けていくんだと思う。ネガティブな気持ちも、創造的な、ポジティブなエネルギーに変換できたらすごくいいね。

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「自由」は、ひとつじゃない

あの時のことがフラッシュバックして気持ち悪くなったり、突然人が恐くなったり、恋愛感情や性欲というものがよく理解できなくてまわりに置いてかれてるような気持ちになることが、いまでもあります。過去に虐待の被害にあった人で、そういった後遺症に悩む人は結構いるんじゃないかな?前まではその悩みが、父に精神的に支配されているような感じがしてすごく嫌だったし、世の中の流れに追いつかなきゃ!普通にならなきゃ!って焦っていました。だけど最近は、気持ち悪くなったら休むし、恐くなったらカメラを持って一度ひとりになる。いつか誰かと恋愛するかもしれないし、しないかもしれないし、そんな感じでいいかなって。そうやってゆる~く過ごすようにしたら、はじめは心配だったけどなんだか徐々にいろんなことが楽しくなってきたし、そんなんでも世の中意外と生きていけるんだなって思った。人によって置かれてる状況や考えも違うからみんながみんなそういう生き方をする必要はないけれど、けど苦しかったら、ひとまずそこに止まってゆっくりしてみてもいいんだと思う。それか、自分を真っ直ぐに見てくれる人に「助けて!」って声をあげてもいい。マイペースに生きてみてもいいんじゃないかな?

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わたしは写真を撮っていると、自分のすべてを持って父の支配から逃げ出せた感覚になる。撮ることは単純に楽しいし、ファインダーを覗いていると自分のなかに潜っているような気がしてくる。そこにも恐怖や嫌悪感、不安な気持ちは存在するけれど、それはわたしをつくる大切なエネルギー。この感覚が「自由」ってものなのかもしれないし、「自由」への欲求かもしれない。わたしは写真を撮ることやアートに触れることがそれに近づく手段だったけれど、誰かにとってはスポーツかもしれないし、料理かもだし、散歩することや、勉強することかもしれない。「自由」を求めて親や大人の支配から逃げることは、悪いことじゃないと思います。逃げてもいいんだよ。ただ、その時は自分のすべてを持っていってあげてほしい。置いていかれた負の感情は、後々誰かを傷つけてしまうかもしれないから。

誰もが持ってる負の連鎖を断ち切る可能性と、わたしたちが共に生きていくために大事なこと

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いまこうして生きていて思うことは、人間はひとりじゃ生きていけない弱い生きものなんだなってこと。そして「人」対「人」の関係は危ういけれど、生きていく上で崩せるものではないんだなということ。わたしたちは常に、「誰か」から影響を受けて過ごしてる。音楽や映画や美術も「誰か」のエネルギーからできていて、わたしはそれをキャッチして自分のエネルギーにする。母は虐待のことを何も知らない(死んでも言わない)けれど、わたしたちの間にはお互いの話を聴いて、いっしょに考える時間が存在する。「人」と「人」がいまを共に生きていくには、「共に、聴いて考える」という行為と、その時間が絶対に必要だと思う。そしてそれは、虐待の連鎖を断ち切る唯一の方法なんじゃないかな。

過去に負わされた傷は、死ぬまで消えない。でも他者との対話を通して自分と向き合うことができれば、痛みをなくすことはできるし、傷跡が残ろうとも、わたしたちは笑って生きていくことができる。わたしは、その可能性を信じています。

fujigara(ふじ がら)

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1993年生まれ。2016年より写真を撮り始める。2017年10月、自身の夢や幻覚を写真にした1stZINEを発行。2018年に展示を計画中。

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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