30代で東京の商社を辞めて、和紙職人になった女性の「急がば回れな人生」

Text: Noemi Minami

Photography: Chihiro Lia Ottsu unless otherwise stated.

2018.7.18

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「職人」と聞くと、一生を職人として生きようと早いうちから決意し鍛錬している人、なんて勝手な印象があったけれど、重要無形文化財に指定されている細川紙の職人である谷野裕子(たにの ひろこ)さんは、そんなイメージとは少し違った。

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谷野裕子さん

東京の商社から埼玉の和紙職人へ

埼玉県ときがわ町に、古い給食センターをリノベーションした「手き和紙たにの」の工房がある。豊かな森林と綺麗な水に恵まれたこの地域は、昔から和紙の生産地として有名だった。

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バブル全盛期、東京の商社で働いていた谷野さんは仕事の関係で埼玉に越すことになる。休日は住んでいた埼玉の中心部からは離れ、自然が綺麗な田舎の方へよくドライブをしていたそうだ。すると目に入ってくるのは、「紙屋」や「紙工房」の看板。その当時は和紙のお店や工房が今より残っていた。

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工房を覗いてみると、職人が和紙を作っている。その光景に、「紙って作るんだって妙なところに感動」し、その後も和紙の美しさが頭から離れなかった。そこで、今の彼女の工房からそう遠くない場所に昔から続く工房を持っていた和紙職人に「弟子はいらないか」と聞いてみたけれど、答えは「いりません」。和紙業界の斜陽化を考えれば、仕方がなかったと振り返る。

そんなある日、埼玉県の広報誌を眺めていると、和紙作りの継承者を募集していた。「いらないって言ってたじゃん、募集してんじゃん」と、すぐに応募した。18歳の若者から定年後の人まで応募者は100人、200人はいたという。研修に参加できるのは15人。予想をはるかに上回る数に、当時30歳を過ぎていた彼女は「職人って若い子がやるイメージだからおばさんだと無理かしら」と思いつつも論文を書き面接を受けた。

「採用したらこちらに引っ越しますというビックマウスのおかげで採用されたわけ」。彼女は面接で、住んでいた埼玉の都心を離れ研修のためにときがわ町に引っ越すと断言。結果、見事に選ばれ、言ったからには守らなきゃ、とときがわ町に移り住んでから26、7年が経つ。こうして彼女は前職を辞め、30代で職人としての道を歩み始めた。

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「美しい和紙を作りたい」、最初はそれだけを目指していた。研修中は収入がないためアルバイトや内職をしながら5年間和紙作りの勉強に没頭した。研修が終わり、和紙職人としての人生をスタートしたあとも学ぶことはやめなかった。途中は子育てや夫の両親の介護があり、一緒に研修を受けた同期が和紙づくりを上達させている間も家にいる自分に「爽やかなくらいの孤独」を感じていたと振り返る。

それでも子どもをおぶりながら和紙についての本を読むなど、家で学習できることに集中した。和紙について聞かれたら大概答えられるよう、「今はそういうときなんだ」と心を切り替え、自分が置かれた環境のなかでできる方法で学習を続けた。そうしているうちに、文楽の修復の依頼がき始めたそう。

昔から続いている和紙職人の市場で争わない

「違う業界からきたからいいわけで。一回外に出た方がいい。私がたとえば、紙屋さんに生まれていたら違っていた」。30歳を過ぎてからの大きなキャリアチェンジに不安はなかったかと聞くと、彼女はそう答えた。それまで働いていた商社で「ものの流れ」を見てきた経験は、和紙を売る際に役立ったという。

和紙屋を創業するにあたり、彼女の挑戦は0から1にすること。ものづくりや勉強、家庭内の仕事の隙間で宣伝や販売をすることは簡単ではなかったけれど、そのときに彼女が意識したのは、昔から続いている和紙職人の市場では争わないことだった。

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Aさんにあった紙、Bさんにあった紙を作っていくのが本来の職人の仕事だろうと思っているので、うちはそういうことに特化してやっていくことにしました。

長い歴史の末に定着した「うちの和紙はこう」というのがないぶん、手漉き和紙たにのは、顧客が望むものを作ることに焦点を当てた。なんでも言われたものを作るというわけではなく、伝統工芸の技術を持って、腕のある職人として顧客が望むものを高い質で作る。

これまでウェディングドレスなど、従来は和紙で作ることのなかったものも顧客の要望に答えて作ってきた。他の職人さんには「それは変な人だと思われてると思いますよ」と谷野さんは笑う。

急がば回れ

取材中に見せてくれたのは、明治時代の大福帳(江戸時代・明治時代に使われていた、商家で売買の勘定を記す元帳)。薬品もあまりない時代に作られたものが今も綺麗に残っている。それは手間と時間をかけて作られたものだからだと谷野さんは言う。

アイドルのシンデレラストーリーみたいに、一気に駆け上がっていった人がそのまま上に登り続けることって無理でしょ。そうじゃなくてチクチクと努力を重ねていって、すごく素敵な俳優さんになる場合もあったりするけれど、それと同じ。

高度成長期に日本はものすごいスピードで技術発展を遂げ、短い時間でものを作ることが可能になった。だが時間をかけて作られるはずのものが短期間で作られると、谷野さんいわく「すぐに駄目になる」。

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明治時代の大福帳

時間をかけるということは手間もかかる。それでもセオリー通りにやれば意外とそれが近道になったり、そこに便利さによって失われていく目には見えないものがあったりする。それを考えれば、谷野さんにとっては時間や手間をかけることを惜しまない「ドシッとした生き方をした方が自分が楽だな」と話す。

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和紙の原料となるのは主に楮(こうぞ)、みつまた、雁皮(がんぴ)。これらは元来農家によって育てられてきたものだった。寒くて農作物の収穫の少ない冬になると、農家はこれらの木を刈り込み、紙屋に持っていくか、自分で漉いて売っていた。それは「自然に沿った生活の一部」だった。現在は和紙の原料となる木を育てる農家が減ったため、谷野さんは自分で畑をやっているという。

自然と対峙しながらものづくりを行う職人として、実際に農家などもはじめてみると「すべてがつながっている」という事実を意識し始めたという。彼女は不意に四国の漁業を例に出す。四国には林業も行う漁師がいるが、それは山で育まれたものが海や川に流れるため、山の状態が魚の成長に影響するから。「自分のところだけがよくてもうまくいかない」、そんなふうに感じるようになったという。

技術を伝えることも仕事の一部

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現在は、学校や美術館、博物館で和紙作りを教える活動も行なっている谷野さん。それは日本にとどまらず、インドネシアのバリにまで広がっている。当初インドネシアでは日本から和紙の原料を持参して技術を教えていたが、ここ数年は現地のものを使って和紙を作る方向に変えた。

バリといえば海辺のリゾート地が頭に浮かぶが、谷野さんが訪れるのは貧困の問題を抱える山の中の村だ。そこの自然に目を向けた。

いっぱい植物が生えているから、バリはバリの紙でいいと思ったんです。技術を教えるとしても、そこにあるものを使おうと。今までも見向きもしなかったものを紙にしてそれをお金にかえればいいでしょ?

定期的に訪れ教えているため、現地の人の紙漉きの技術はぐんと伸びている。今後はビジネス化の手伝いを考えているそう。

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「職人としての仕事の一環だから和紙の技術を伝えていく活動をしている」のだと谷野さんは言う。ユネスコの指定も受けた細川紙は、重要無形文化遺産。無形文化遺産ということは、できあがるものは紙ではあるが、その技術やとらえ方、取り組みが遺産だということ。形が見えないものは、誰かに伝えなければ残らない。

旧給食センターを借りたのは、古くてボロいですけど広いから。ここをラボみたいに、みんなが実験したり研究したりする場としてつかってもらえればいいと思って。若い子たちが和紙作りをやってみたいときとか、芸術家が自分の紙を作りたいときに気軽にできるところがなかなかないから。だから自分は頑張ってお客さんにあう紙を作っているんだけど、紙を知りたいって人にやり方を教えてあげて、その人たちが自分の好きに作ってくれればいい。

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谷野さんは和紙作りを通して「自分のところだけがよくてもうまくいかない」と気づいたと言っていたけれど、現代社会を生きる私たちは便利さを求めるあまり「自分だけよければいい」となってしまってはいないだろうか。生産の背景に関心を持つことはまれで、私たちが日常的に使うものが自然の一部で、自然の循環のなかに生み出されていると考えることなどほとんどない。

彼女の仕事を垣間見て、急がば回れな生き方を選んだ方が「結局は自分が楽」と言っていた意味が理解できたような気がする。長持ちし、環境に優しくて、人が必要としているものを世の中に生み出すことは、彼女の言葉を借りれば「自分がステータスを感じられて満たされるような仕事のやり方」。何も職人にならなくてもいいかもしれないが、都心に住んでいても、日常のなかで人や自然とのつながりを忘れなければ今より少し、豊かな生活ができるのかもしれない。

手漉き和紙たにの

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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