他に類をみない“フリーランスの映画配給者”。「ワクワクしながら働くこと」を追求し続ける男の野心

Text: Noemi Minami

Photography: Yuki Aizawa unless otherwise stated.

2018.3.5

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「なんでできないの?」

「映画の配給ってフリーランスでできるんですね」とドキュメンタリー映画の配給をフリーランスとして行うサニーフィルム代表 有田 浩介(ありた こうすけ)氏に言うと、そう聞き返されて、答えに困ってしまった。

確かに、できない理由が具体的に頭に浮かんでいたわけではなかった。そもそも映画の配給をするのに何が必要かを知らない。それでも漠然と「できない」を前提にしていた。

やりたいことを仕事にするのは、現実的ではない、夢物語だ、というような風潮が世の中には存在する。だが、なぜ現実的ではないのか?その議論はやっぱりされぬまま。

今回Be inspired!は、日本で類をみないフリーランスのドキュメンタリー映画配給者になるまでの経緯や、仕事に対する情熱あふれる思いを有田氏に聞いた。

自分のやりたいことを仕事にすることは、決して非現実的ではない(だからといって楽でもない)。

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サニーフィルム代表 有田 浩介氏

日本でおそらく最年少、そして最新参者のフリーランス映画配給者

ドキュメンタリー映画を専門に配給を行うサニーフィルムは厳密に言えば会社ではない。有田氏が個人事業で、つまりフリーランスでやっているのでその名は屋号という。

国内外の映画祭に足を運び、厳選した映画のライセンスをとり、契約をして、日本での配給権を取得後、それを日本の劇場に流し、DVD化・テレビ化・デジタルプラットフォームへいれる。その間、法務業務、営業業務、宣伝業務、経理業務などもすべて一人で行っているのが有田氏だ。

日本にフリーランスで映画の「宣伝」をする人は少なくないけれど、「配給」はごく稀。ひとりでやっているというとなおさらだ。ドキュメンタリー映画の配給をフリーランスでやる人が他にいるとしても、おそらくそのなかでは有田氏が38歳で最年少、そして最も新参者だろう。

2016年の11月にはオランダ、アムステルダムのIDFA(International Documentary Film Festival Amsterdam)というドキュメンタリー映画祭に初参加し、2本の映画を買い付けた。

日本の配給会社は毎年カンヌ、ベルリン、ベネチアと主要な映画祭に行きますが、今の僕がそこに行ってもしょうがないって思っています。世界三大映画祭でみんなと競っても値段が高くなっちゃうだけだから、他の会社が目をつけてない映画祭を探していて、その一つがIDFAだった。

IDFAはドキュメンタリー映画祭のなかでは世界最大級。世界中から出品されるドキュメンタリーの数は300本を越え世界ナンバーワンで、この映画祭でプレミア上映する作品の数もナンバーワン。

日本のニュースは国際報道があっても報道される内容は限られている。アメリカのニュースや中国や朝鮮半島のニュースが多い。でもヨーロッパの映画祭に行くと、ロシアとウクライナの紛争の最前線にある街の少年の話など、日本にいたら絶対に知り得ないような東欧の話がいたるところにあって。初めて参加するIDFAでの活動方法は全く想像がつかず、過去に行った事がある日本人に問い合わせましたがあまり具体的なアドバイスはもらえず、まずは自分の勘で行ってみることにしました。結果的に他の映画祭で出会ったドキュメンタリー人と再会しいろいろ教えてもらいました。

「世界の片隅の話だけど、それが世界の中心の話なんだよ」

ドキュメンタリー映画を専門に配給している有田氏にドキュメンタリー映画の醍醐味をうかがうと、「世界の中心を感じているんだと思う」という答えが返ってきた。

映画祭に行くと、世界の片隅の話がそこら中に多くあります。日本では知り得ない話と出会うと、日本にも伝えたいって思う。世界の片隅の話だけど、それが世界の中心の話なのです。そこにいつも感動する。サニーフィルムとして初めて配給した『サファリ』という映画も、ナミビアで行われているトロフィーハンティング(衣食住のためではなく、娯楽として行われる狩り)の話だけど、それって日本からしたら遠い世界の裏側で行われていることの話ですよね。でも、そこの人からしたらそれが世界の中心で、トロフィーハンティングが中心の世界もあるんだなと思う。そういうものに触れて、考えてみると心が動きます。

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『サファリ』もそうだが、社会派のドキュメンタリーが多いサニーフィルム。しかし「ヘビーな社会派だとは思わない」という有田氏によると、配給する映画の傾向は意図的というよりは、厳選するプロセスで「心を動かされたもの」を配給しようしている結果なのだそう。

IDFAで買ってきたのは、急速な近代化に直面しているブータン東部ブムタンの片田舎で1000年以上続く僧院を持つ家族の物語と、レバノンのベイルートで高層ビルの建設現場で働くシリア人難民の心の再建についての話。僕の心に触れるものは、今はたぶんそういう社会的なもので、国際社会で問題になっているものなんだと思う。そのことを映画を通じて日本に伝えたいって思います。この辺りの話は日本のニュースでは報道しないですよね。

「自分がやっていることがこれでいいのかどうかってことは常に考えてた」

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現在、フリーランスで映画の配給を行う有田氏はもともと新卒で入社し、大手音楽レーベルの会社に勤めていた。数年働いたのち、やりたいことが変わってきたと感じた彼は20代後半で旅に出る。安定した仕事を離れて旅に出るという決断に不安はなかったのかと聞くと、「そのときはなかったけれど、帰国したあとはもがいたよ」と言う。

旅から帰ってきたあと特に仕事などないので、旅の資金の残りの50万円を使って神奈川県の海沿いの葉山に引っ越しました。当時唯一持っていたものは横須賀のホームセンターで買ったママチャリだけ(笑)それで逗子駅まで行って、片道900円ぐらい使って東京に来て、いろんな人と打ち合わせして、何か仕事にならないかっていろいろ売り込んでいました。

葉山に引っ越してから、フリーランスになって一番最初に得た音楽の仕事は、パンクバンドのツアーマネージャーでした。東京・名古屋・大阪のライブツアーを一緒にバンドとまわる仕事です。英語も喋れるし、レコード会社で宣伝部の仕事もしてたのでメディアの対応もできました。そこからだんだんツアーマネージャーだけじゃなくていろいろ仕事をもらえるようになりました。旅に出て世界の空気を吸えば自由になれると思って会社をやめたら、帰国して不安定なフリーランスに意外と不自由を感じ、不安に陥ったり、迷ったり、自分がやっていることがこれでいいのかどうかってことを常に考えるようになりました。

その音楽系フリーランスの期間を経て、仕事の発注元だった海外アーティストに特化したレーベルに入社する。そこで海外アーティストのライセンス業を学び、レコード制作や宣伝の仕事をしながら、映画の仕事と出会った有田氏。そのレーベルが映画配給を始めたのだ。数年後、残念ながらその会社は倒産し、次は何をしようかと考えているとき、レーベル時代に知り合ったフリーランスの映画宣伝マンに映画宣伝の仕事に誘われる。そこから有田氏の“売れない映画宣伝マン”としての時期がスタートする。

そこから3年ぐらいは、まったく売れない宣伝マンをやっていました。年間3本とか。年収なんて100万くらいしか稼げなくて。宣伝だけでは食べられないのでPVやCM制作などの映像制作の仕事もかけもちました。今はドキュメンタリーがシネコン(一つの施設の中に複数のスクリーンがある複合映画館)で公開されることってよくありますが、その当時は本当に稀でした。小規模なドキュメンタリーは予算もすごく少なくて、あまりフリーランスがやりたがる仕事ではなかったのです。僕みたいに新参者か仕事がない人しかやらなかったです(笑)ドキュメンタリー専門の配給をやっていると、ドキュメンタリー好きなんですか?とよく聞かれます。もちろん好きですけど、あの時代唯一与えられた仕事がドキュメンタリーの宣伝の仕事で、いつの間にかドキュメンタリーの仕事が得意になっていたんです(笑)

生活は決して楽ではなかったけれど、情熱を持って仕事をこなしていくうちに映画宣伝マンとしての有田氏に転機が訪れる。2013年に彼が宣伝した映画が記録的な大ヒットを出したのだ。そこからは電話が鳴り止まない毎日が始まったそうだ。しかし映画宣伝マンとしての成功で、彼にとって明確になったのは本当に自分がやりたいこと、配給だった。自分でいい映画を日本に持ってきたかった。そこから配給をするための様々な情報を集めながら、自分で配給を始めるための準備期間に入る。

そして数年後の2016年、有田氏の1本目となるシリア内戦初動時を描いたドキュメンタリー『シリア・モナムール』の配給(共同)をするに至った。

常にワクワクすることだけをやってきた

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音楽・映画、宣伝・配給とさまざまな仕事をしてきた彼にこれまでの仕事で一貫していることは何かと聞くと、答えは「自分の心が動いたもの」。

音楽にしても、映画にしても、どういう仕事で、どういうポジションで仕事をするにしても、自分がワクワクしていないといけないし、気概を持って、自分がやりがいを感じて取り組めていないといけない。それはお金をいくらもらえるからとか、もらっているお金がいくらだからこれくらいの仕事をしようとか、そういうことではなくて、自分が生き生きとする仕事だけを常に求めていたような気がする。

やりたいことがわからない者からしたら、やりたいことが明確にわかり直進する人を見るとうらやましく思ったりもするものだが、「やりたいことをしている=楽」なわけではない。配給した映画の公開前は「心が寝ない。体は寝てるけど」と話す有田氏。

仕事は楽しいですが、公開直前は精神的に苦しいことだっていくらでもあるし、決断を迷うことだっていくらでもあります。寝ながら仕事のことを考えていることはしょっちゅうです。

迷ったとき、僕が一番心がけているのは、もう直感。自分の本能で自分が好きかどうかを大切にして、あとはなるべく人に迷惑をかけないようにする。人に迷惑をかけなければあとは自分で好きなことをその場その場で決めていく。人生はそのときそのときで選んだ選択で進んでいくと思いますが、振り返って見ると、人生は一つの線になっていて、ああ、自分のやりたいことができているんだなってわかります。そのうえで、昔の自分より、今の自分の方がもっといい仕事ができてるなって思えるようになっています。

自分は新参者であり、「将来がどうなるかなんて今もわからない」とインタビュー中繰り返していた有田氏だが、ドキュメンタリー映画の明るい未来に確信を持っている。劇場で公開されるドキュメンタリーの数が他国と比べても日本は多いそうだ。

日本のドキュメンタリー・カルチャーはとても豊かだと思います。もっと多くの大学生や図書館に毎日通うおじいちゃんにも世界のドキュメンタリーを見てもらいたいです。

僕の勝手な見解だけれども、今後人々のドキュメンタリーに対する欲求ってすごく高まってくるだろうし、良質なドキュメンタリーを作れる作家は世界的にもっと増えると思います。そして、良い作品は潤沢に日本に集まってくると思います。ドキュメンタリーが伝える世界は人々が本能的に求めるヒューマンネイチャーだと思いますし、僕自身大好きなので、そういう世界にしたいと思っています。知的好奇心を刺激して、感動させたり心を揺さぶるエンターテイメントがドキュメンタリー映画じゃないかな。

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「自分がやりたいことを仕事にする」というのは日本や、欧米でもそうかもしれないが、比較的裕福な国の若者の人生の大きなテーマだろう。しかし日本に住んでいると、世間体、将来への不安、あるいは一般的な職や就職形態以外の選択肢が見えづらく、一歩を踏み出せずにいる人も少なくないかもしれない。

「そのときそのとき選んだ選択で人生を進めていくと、一つの線になる」。そう話す有田氏の言葉と彼の人生そのものが、自分のやりたいことと不安の狭間で立ち止まってしまっている人の背中を押してくれるのではないだろうか。人に迷惑をかけない限りは将来をあまり気にせず直感を信じて、そのときにやりたいことをやったほうが自分はワクワクできることは確かである。

サニーフィルム

Website

代表・有田浩介。2004年よりメジャーレコード会社に勤務。2007年にフリーランスへと転身。2007年から2010年までの3年間、約200タイトルの音楽契約、宣伝、流通業に携わる。2010年にサニー映画宣伝事務所名義で映画宣伝へと転職し国内外のドキュメンタリーを中心にパブリシティー業務に従事する。2015年に『シリア・モナムール』を「テレザとサニー」名義で初配給する。2017年サニーフィルムへと改名し映画配給を専業とする。国内外の映画祭に参加し、特定のジャンルやテーマにとらわれず様々なドキュメンタリーの配給を通じて世界の多様性と映画の可能性を社会に伝える事をミッションにする。近々で6月16日岩波ホール公開『ゲッベルスと私』と、8月ポレポレ東中野ほか夏休みロードショー『ゲンボとタシの夢見るブータン』の公開が控えている。

​​ドキュメンタリー映画の未来は活気に満ち溢れていると思います。才能ある若手作家と新しい作品は潤沢に誕生し、人々が本質的に求める未来のエンターテインメントこそドキュメンタリーになると信じています。(2017.11月)

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※こちらはBe inspired!に掲載された記事です。2018年10月1日にBe inspired!はリニューアルし、NEUTになりました。

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