#008 「人の意見に左右されちゃうのはいけないの?」意見を持っていることがいい、という現代人のちいさな誤解|“社会の普通”に馴染めない人のための『REINAの哲学の部屋』


こんにちは、伶奈です。大学院まで哲学を専攻してしまったわたしが、読者から日常の悩みや社会への疑問、憤りを募り、ぐるぐる考えたことを書き綴る連載の第8弾。一方通行ではなくみんなで協働的に考えられるようにしたいので、時に頷き、突っ込みながら読んでくださると嬉しいです。

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伶奈ってだれ?▶︎
「当たり前」を疑わない人へ。「哲学」という“自由になる方法”を知った彼女が「答えも勝敗もない対話」が重要だと考える理由

今回の相談:人の言葉によって意見が変わっちゃうのっていけないこと?

私はすぐに人の意見に左右されてしまいがちです。親にもあなたは自分の考えがないとよく言われます。ですが、自分の考えが未熟だから人の言葉によって考えが変化してしまうのはそんなにいけないことでしょうか。

(ゆっちゃん、19歳)

 ゆっちゃん、ご相談ありがとうございました。「海外と違って日本人には自分の意見がない」とか、よく聞きますよね。その海外ってやつ持ってこいよ、というほど比較としては雑だけど、こういう最近の「日本人は〜」とか「自分の意見を持て」という、個性出して行こうぜ重圧に、生きづらさを感じている人がこの社会はたくさんいると思うのです。

「意見がある」ってどういうこと?

 

 だからこそ、意見を言うことってそんなに偉いことなのか? というか、そもそも「意見がある」ってどういうことなのか? そんなことから、考えてみます。

 例えば、そう。「人は人を殺すべきではない」

 この主張には、ほとんどの人が納得するでしょう。しかも女子会なんかで「人は人を殺すべきではなくない?」なんて声高に主張したら、なんかわたし、めっちゃ「意見がある人」っぽい。なんでそう考えるのかという理由を添えたら、なおさら。

 そうなると「意見を持つ」とは、「なんでそう思うのか」という理由をもって何かを主張することになります。でもわたしたちは、正しくてそれっぽい意見でも、理由を聞くと、どうなんすかね、と突っ込みたくなることが、よくあります。

なぜ、人を殺すべきではないのか?

・「人は人を殺すべきじゃない。なぜなら私が殺す人が1人減っちゃうから」
まず、論理的にも間違っている。「人」と言っているのに「私」を例外にしている。お前は結局殺すんかーい。論外。

・「私が殺されたくないから」
これ、いいかも。でも少し考えると、いただけない気がしてくる。この理由だけでは、「私は殺されてもいいし」というヤバイ人を、殺しても良いということになるからだ。

・「なんとなく」
偶然いい感性を持っているけれど、同じように「なんとなく」人を殺している人もいる。

・「そういうもんだから」
先生や社長が言いがちな体育系的な発言。思考停止。

・「18世紀に活躍した啓蒙哲学者カントの定言命法に従えば、汝の行為の確率を普遍的な〜」
ちょ、待て。それ、カントの意見や。お前ではない。

 こうして見ると、どれも「人を殺すべきではない」という主張に対する理由が甘い気がします。なぜって、意見(結果)に対する思考(プロセス)が、よくわからないから。いかつい鎧を脱いだら、ひょろひょろが出てきた感じ。

 ジムのインストラクターの言葉を思い出す。「インナーマッスルを鍛えましょう。」つまり、ただかっこいい鎧で主張するだけでは、ちゃんとした意見としては成立しないのです。例え倫理的な主張であっても、理由が論理的でなければ、そして言葉が主張する本人のものでなければ、検討し直す必要があるようです。

 そうであれば、「十分な理由に基づいて主張すること」が、意見があることだと言っていいかもしれません。

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人間は考える葦である

 だから大事なのは、意見を持つこととか表現することよりも、考えることや意見に至るプロセスだということになります。本当はみんな、あなたの主張よりも「あなたがなぜそう考えるのか?」を知りたいのだから。

 SNSの世界には、「はい論破〜」という幼稚な言葉や、意見の対立を極端に恐れた「それな〜」という安易な共感が並んでいます。夜中に覗くと、深い海に沈んだように滅入ってしまう。極端だなあ。相手を批判することや「なんでそう思うの?」と問うことは、個人攻撃でも優位に立つための手段でもないのに。

 もちろん、完璧な理由を持って意見を主張できるわけもないから、言葉が不十分でも仕方がないと思います。だからこそ考え、疑い、その不十分さに気が付いたなら、その意見に固執するのではなく、一回その意見から解放されて、新たな考えを見つければいいと思います。大事なのは、考えること。

 パスカルの『パンセ』から、この言葉を。

「人間は一本の葦(あし)であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。 しかし、それは考える葦である」

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意見は、乗り物にすぎない

ありのままの自分の「ありのまま」とはなに。接する相手やその場の状況によって態度や反応の仕方を変えるのは普通だと思っています。でもそれは演じているという事なのでしょうか。

(ぽっぽさん、19歳)

 以前こんな質問ももらいました。いたって普通だと思います。

 わたしは割と、その場で思いついた意見を言います。毎回言うことが違うかもしれません。なぜって、その時一緒に見つけられる「理由」が違うから。意見は、共同で制作する作品。他者と作り上げていくものだと思います。

 意見は他者との共同作品であるだけでなく、常に変化するものです。なので、「意見がコロコロ変わるね」と言われても、意見なんて単なる表象的な結果にすぎないのだから、ちゃんと理由を考えていれば、いいのではないかと思うのです。

 二言目にはすぐ「意見は乗り物にすぎない」と呟く、今井という友達がいます。(口癖にしては高尚すぎるし、口癖が比喩とか、凡人には真似できない)

 面白いので最後に紹介します。つまりこういうことです。

 愛車のポルシェに欠陥が見つかったら、修理に出す必要がある。修理中はとりあえず電車で出かければいいし、直る見込みがなかったら、別の車に買い換えればいい。意見なんてそんなもんだ。まだちゃんと動くおんぼろ車が好きだったら、見栄を張ってベンツに乗り換える必要もない。おんぼろ車で出かければいい。近くのスーパーにはチャリで行けばいいし、デートは車、仕事は電車でええ。意見なんてそんなもんだ。意見はあなたではない。意見はあなたを運ぶ、乗り換え可能な乗り物にすぎない。

 続きは一緒に考えてくれたら嬉しいです。意見や批判、感想をお待ちしています。Twitterハッシュタグ「#REINAの哲学の部屋」で。

8月の連載のテーマ募集します!

田代 伶奈

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ベルリン生まれ東京育ち。上智大学哲学研究科博士前期課程修了。「社会に生きる哲学」を目指し、研究の傍ら「哲学対話」の実践に関わるように。自由大学で哲学の講義を開講。Be inspired!ライター。

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All photos by Chihiro Lia Ottsu
Text by Reina Tashiro
ーBe inspired!

 

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