ポルノからの脱却。女の裸は女のもの。


女性の裸は誰のためにあるのか?
 
かつて、公の場で女が衣服を脱ぐ行為は、大抵の場合は他者の性欲を満たすための「ポルノ」として捉えられてきた。
 

ストリップショー、グラビアアイドル、アダルトビデオ。
 
女たちは服を脱げば、たちまち“商品”として価値をつけられる。
 
形の良いものには高値がつく。
 
体が衰えれば市場から姿を消す。大抵の場合、消費者は男性。
 
ある意味、女性が男性という購買層を利用したビジネスなのかもしれない。
 
しかし1つ言えることは、どんな場合においても、女性が裸になる行為は誰かの性欲の対象の先にあったということ。
 
「自分のため」ではなかったということである。

 
 
利用されて当たり前の裸

(Photo by Gideon)

(Photo by Gideon)

女性の裸が「ポルノ」として扱われるようになったのは、いつ、どの国が始まりなのかは不明である。
 
何故なら世界中のほとんどの国において、女性は男性よりも「弱い立場」として位置づけられてきた歴史があるからだ。
 
女性の生む性質と、男性の社会的位置づけが絡み合い、女の裸は「利用されても良いもの」とみなされてきた。
 
裸の使い道は女性本人が決めるものではなかった。
 
まさに「受け身の性」だ。

 
 
存在価値=「いかに買わせるか」

(Photo by Tom Parnell)

(Photo by Tom Parnell)

こういった問題の元凶がすべて男性にある!と主張する過激なフェミニズム団体も存在するが、果たしてこれは男性を糾弾すれば解決する問題だろうか?
 
女性の裸に対し、容赦なく値段がつけられているバッググラウンド―――そこには、女性が自らの裸に値札を下げて「男性への売り物としての自分」を認めて闊歩している事実がある。
 
胸を大きく見せ、脚を細く見せる。
 
自分よりも高値が付きそうな女は敵だ。
 
たとえ服を着ていたとしても、彼女たちは常に、自分の裸を買わせるための努力を怠らない。

 
 
【性の対象ではないヌード】を提示した女性写真家

(Photo by kai-you)

(Photo by kai-you)

日本の女性写真家・花盛友里さんは、これまでに数多くの女性たちの姿を写真に収めてきた。
 
今、開催されている写真展で彼女が題材にしたのは【女性たちの裸】。
 
「家族連れでも見に来てほしい!」という写真家の想いからも伝わる<ポルノから脱却した女性のヌード写真>
 
女たちが誰のためでもなく衣服を脱ぎ、自らの裸をじっと見つめるような写真展だ。
 
また、カッコイイ裸ではなく、あくまで自然体を追求したいと花盛さんは語る。
 
会場に一歩足を踏み入れたら、そこにある女性たちの裸が誰のものでもないことを突き付けられるはずだ。
 
人間の裸が本来持っている、美しさやエネルギーに圧倒されるかもしれない。
 
無意識のうちに自身の裸に価値づけをしてきた女性たちが「自分の価値」を改めて考える場になるのではないだろうか。
 

花盛友里写真展『脱いでみた。』
 
《個展開催情報》
 
日程:2016年2月16日(火)〜21日(日)
 
場所:ギャラリー・ルデコ
 
住所:〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-16-3 ルデコビル1F
 
時間:11:00〜19:00(月曜休廊日)
 
電話:03-5484-5188
 
http://www.yurihanamori.com/

 
 
私の裸は私のもの

本来、自分の裸を扱うことができるのは自分だけのはずである。
 
他者の性欲を刺激するものでも、満足させるためのものでもない。
 
脱ぎたければ脱ぎ、脱ぎたくなければ「No!」と主張すればいいのだ。
 
今日、海外だけでなく日本でも、女性が自分の意志で服を脱ぎ、ポルノ分野以外で裸を見せていこうという動きが目立つようになってきた。
 
社会的性役割においていつも「受動的な立場」を強いられてきた女性たちが、性のハンドルを取り戻そうとしている。
 
「私の車を運転できるのは私だけよ!!」
 
そんな大声が聞こえてくるかのようだ。
 
 
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